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写真とモノローグ
BARは外来文化ですが、外国にとってのBARは地酒文化です。
海外における地酒文化を知るために最も好きなバーボンウイスキーの産地、アメリカのケンタッキー州を訪ねました。
バーボン産地を巡り、そのローカルな情熱と誇りに触れることで、負けじと栃木の地酒を芯にする気持ちが生まれました。

 ケンタッキーに寄せて

 

 ケンタッキーはアメリカの東中央に位置し、その地層に、長さ千km以上の「マンモスケイヴ」と呼ばれる独特の地下空洞を隠し持つ。ケンタッキーが名馬で有名なのは、石灰岩の地層を経由したミネラル豊富な水によって、骨の丈夫な馬が育つからだと言われる。

 往路の飛行機で隣り合わせた男性は、日本観光からミズーリ州に帰るところだった。私がこれからケンタッキー州に行くと知って「ニューヨークに行こうとか思わないの!?」とからかった。

 州の大きさは関東+静岡県ほど。ケンタッキーのなかでも「バーボンの首都」と呼ばれるバーズタウンの街は、北緯36度に位置する。実は、カクテルの街と呼ばれるこの宇都宮も、同じ北緯36度にある。

 共通するのは海がないことだけではなかった。大きなメイプルの紅葉は栃木県の繊細なモミジの紅葉を思わせ、独特な地下空洞は宇都宮の大谷を思わせた。切り立った渓谷に流れる美しい川たちは、鬼怒川上流や那珂川を彷彿させ、初めて来た気がしなかった。

 

 ケンタッキーダービーの時期でもなかったので、観光客は少なく、そこにいるのは暮らしている人ばかりだった。しかし、日本で事前に、ルイビルの観光課からメルマガを受け取っていたし、観光地やバーボンに関する冊子も無料で郵送してもらった。ゆえに(観光自体はそうできなかったけれど)訪れる期待は高かったし、ケンタッキーじゅうの蒸留所でスタンプを集めて、ルイビルのビジターセンターで景品を貰う楽しみもあった。自分が追い求める体験の先には、必ず快く迎えてくれる人と、適切な観光案内があった。

 

 16日間のケンタッキー滞在では、1日1〜4軒の蒸留所を訪ねて、計20箇所の蒸留所を巡った。見学予約が必要な場所は日本で事前予約を済ませ、蒸留所と宿泊所間の車の走行ルートも事前に決め、現地ではそれに準じて移動し、頭を空っぽにして写真やメモや見聞することだけに集中して過ごした。慣れない土地なうえ、ウイスキー試飲もあったので、ドライバー兼通訳にアメリカ在住の日本人ガイドを雇った。と言っても、16歳上の人生の先輩だった。アルコール嫌いで飲酒に興味がなく、趣味のカメラで美しい風景を撮りながら行動を共にしてくれた。そうしたガイドはケンタッキーには見当たらなかったので、他の州からルイビル空港まで飛んで来てもらった。

 到着2日目の、オスカーゲッツミュージアムで、大きすぎる落葉を踏みしめているうちに「これほどの情熱と時間を以ってして、栃木を巡ろうとしたことがあるか?」と自問する羽目になった。

 若い世代に認知され、愛され守られていく新しい産業を栃木で始めたい。自分はどんなかたちで未来に貢献できるのか、実現可能か、現実を踏みしめた。

 

 バーボンに寄せて

 

 気絶するように時を忘れる香りは、スコッチに勝るものなし…かもしれない。しかし、私がバーボンを好むのは、「合理的な定義」と「人」に拠る。

 合理的さはシンプルさであり、バーボンには「着色してはならない」という定義がある。無着色の定義は、世界のウイスキーを見ても唯一のものだ。これが個人的にとても信頼できる。また、「アメリカのホワイトオークの新樽で作らなければならない」という規定により、一度寝かせた樽は二度とバーボンの熟成に使うことはできない。結果、中古樽はスコッチや日本のウイスキー熟成用に輸出され、アメリカの樽工場は常に新樽を作るという必需産業とその雇用に結びついている。

 バーボンウイスキーはファーストフィル(初使用樽)のバニリン(コゲに生じるバニラ香)の恩恵を一番に受ける酒である。バーボンの熟成香は樽の焦がしによるところが大きく、焦がし方は「レベル1〜4」に分けられる。と言っても、最高のレベル4をうたう蒸留所ばかりで、レベル1〜3の樽はついに出会わなかったが(追記:2018年に出会ったミクターズはレベル3の程良いチャーだった)。

 

 蒸留所の建築様式は新旧多様で、煉瓦造り・木造・トタン工場・ガラス張りの新設観光工場・川縁の小さなペンション・牧場のプレハブなど、思い思いに稼働していた。小規模蒸留所では、見学者と蒸留設備を分け隔てるような固い概念がなく、蒸留したての原酒を誰もが触り舐めることができた。発酵層を覗き込み、酸っぱくなったマッシュビルを指ですくって舐めて、あまりの不味さに後悔したりした。

 バーボン蒸留所の精神は、日本酒の酒蔵の精神に近く、まさに地酒だ。見学を終えると、そこで作られたバーボンを、興奮と気概を感じて飲んだ。

 

  大手蒸留所に勤める人たちは、学者志望だったとか、教員定年後に雇用されたとか、教職関係が堅かった。育つのに時間のかかるウイスキーを相手にするには、コツコツ見守る感覚が要るのかもしれない。その一方で、ブランド同士の熾烈な戦いもあり、多面的で面白い。

 女性の働き手も多く、大規模になる程商品を仕上げる工程に女性がこまやかに携わっていた。彼らの働きぶりはマイペースで、ファッションも私語もわりかし自由だ。休憩時間になると、作業動線の中にのびのび置かれた机に家族写真を並べ、ランチBOXを広げていた。

 最後に、どの蒸留所でも聞かされる、いわゆる決まり文句のような矜持がある。バーボンを名乗れるのは、選ばれし特別なウイスキーだけ、ということだ。

All bourbon is whiskey, But not all whiskey is bourbon.

yuriko 2014

 BARに寄せて

 

 「BARとは何か」それは飲み手が自由に決める余地があるからこそ面白いのだと、作り手の私は思う。

 会話は、小さな出会いの喜びと、ひとときの思いやりに終始する感情のやりとりであって、理屈である必要はない。

 大人にとっての有意義な時間とは、互いに関心を持ち合える人と、真心の通った時間を過ごせるかどうではないか。その相手として、家族や友人や同僚の他に、かかりつけの医者や美容師やバーテンダーが選ばれることもある。だからこそ、人に関心を持たなければ、BARに立つことはできない。

 BARには十人十色の主役がやって来る。営業ストレスを抱えた商社マン銀行マンもいれば、機を狙う中小企業社長もいるし、「先生」と呼ばれる弁税医、昼間のギラギラした駆け引きを終えて真っ白な灰のように座る人、人生の休暇中の人、家族を連れてくるゴキゲンなお父さんや、結婚が決まって若返った人、転勤先から久々に飲みに戻って来てくれる人もいる。​

 さまざまな感情の人たちが、ひとつの場所に落ち着くわけだから、例えBARに誰もいない時間でも、その空間には敬意と注意を払う。バーマンは誰に対しても一様に優しくしたり、迎合することはできない。店自体が方向性を持っているし、店の雰囲気を守らなければ、居心地の良さを信じてやって来るお客さんを裏切ってしまうからだ。

 お酒の注文をしても、水かノンアルコールカクテルしか出てこない時がある。それは、本人の意図しない夜を過ごして欲しくはないし、帰り道を忘れてはならないからだ。

 バーテンダーの自分は、お客様が来てくれたことに感謝し、ひとりひとりに最善の対処をして、彼らを明日に送り出す。その繰り返しだ。

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